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長崎地方裁判所 平成9年(行ウ)2号 判決 1999年3月16日

原告

福島瑞郎

右訴訟代理人弁護士

馬場正裕

被告

長崎市長

伊藤一長

右訴訟代理人弁護士

川口春利

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告が、株式会社丹青社に対し、別紙契約目録一ないし三記載の各契約に関して、債務不履行に基づく損害賠償請求をすることを怠ることは、違法であることを確認する。

二  被告が、加藤周一及び安齋育郎に対し、別紙契約目録五記載の契約に関して、債務不履行に基づく損害賠償請求をすることを怠ることは、違法であることを確認する。

第二  事案の概要

本件は、「長崎原爆資料館」の開館に際し、その展示内容が、計画段階を含め二転三転したことから、長崎市の住民である原告が、かかる事態によって長崎市は損害を被ったのに同市の首長である被告が工事業者や監修者に対し損害賠償を求めないことは違法であるとして、適法な監査請求を経た上いわゆる怠る事実の違法確認を求めた住民訴訟である。なお、本件訴訟には、当初、西淳も原告として加わっていたが、同人は、平成一〇年九月六日死亡したことから、同人の請求に係る部分については既に終了している(最高裁昭和五一年(行ツ)第二二号同五五年二月二二日第二小法廷判決・集民一二九号二〇九頁参照)。

一  争いのない事実等

1(一)  長崎市は、昭和三〇年、長崎国際文化都市建設法に基づき、「長崎国際文化会館」を建設し、その中で原爆被爆資料を展示していたが、平成四年、これを全面的に建て替えて再編成することを決定し、総事業費約七〇億円を投じ、平成八年四月一日、「長崎原爆資料館」(以下「原爆資料館」という。)として開館した。(争いがない。なお、以下、右建替事業を「本件事業」という。)

(二)  原爆資料館は、地上地下各二階建で、地下二階が常設展示室、企画展示室、収蔵室等、地下一階がロビー、平和学習室、ホール、いこいの広場等、地上一階が図書室、ビデオコーナー等、地上二階が会議室、応接室等となっている。被爆資料の展示フロアーの面積は、約一八〇〇平方メートルである。(争いがない。)

2  長崎市は、平成四年五月三〇日から同七年一一月一三日までの間、本件事業に関し、株式会社丹青社(以下「丹青社」という。)との間で、別紙契約目録一ないし四記載の各契約を締結し、各契約締結のころ、同社に対し、委託料又は請負代金を支払った。なお、同目録二記載の契約は平成六年八月五日の時点では仮契約であったが、同年九月二二日長崎市議会の議決を得たことにより、そのまま本契約となった。(争いがない。なお、以下、同目録一記載の契約を「展示基本・実施設計業務委託契約」、同目録二記載の契約を「展示請負契約」、同目録三記載の契約を「展示工事業務委託契約」といい、また、以上の三つの契約をまとめて「丹青社に係る本件契約」という。)

3(一)  長崎市は、また、原爆資料館の展示・設計について学識専門家の監修を受ける目的で、立命館大学客員教授、日本文芸家協会員、文芸評論家、作家で当時同大学国際平和ミュージアムの館長を務めていた加藤周一(以下「加藤」という。)及び同大学国際関係学部教授で当時右館長代理を務めていた安齋育郎(以下「安齋」という。)の両名に監修を委託することとし、平成四年一一月一三日、当時の本島等長崎市長の決裁を得た上、同月一六日加藤の、同月一八日安齋の各承諾を得た。ただし、いずれも契約書は作成されなかった。(争いがない。なお、右加藤、安齋両名の承諾により、別紙契約目録五記載の契約が成立し、これを、以下「本件監修契約」という。)

(二)  その後、長崎市は、加藤、安齋の両名に対し、次のとおり報酬を支払った。(争いがない。)

(1) 平成五年四月七日 各五〇万円

(2) 平成六年三月二八日

各二五万円

(3) 平成七年三月二八日

各五〇万円

(4) 平成八年四月五日 各五〇万円

4  平成七年五月二日、本島等に代わって、伊藤一長が長崎市長に就任した。

(公知の事実)

5(一)  平成七年九月、「長崎の原爆資料展示を考える市民連絡協議会」と称する市民団体が発足し、長崎市に対し、原爆資料館において「日本の侵略や加害の展示」を行うよう求める要望書を提出した。一方、同年一二月には、「長崎日の丸会」と称する市民団体が、右のような展示は、国際的に広く存在する「原爆投下正当論」ないし「原爆投下是認論」を助長する結果となるおそれがあるとして、反対趣旨の要望書を長崎市に提出した。(争いがない。)

(二)  また、平成八年一月一日付の朝日新聞朝刊には、「日本の加害」常設展示へ」との大見出しで、原爆資料館が「日中戦争と太平洋戦争」のコーナーを設け、そこでは南京大虐殺、細菌戦を研究した関東軍七三一部隊、従軍慰安婦等の諸問題を写真等を使って展示する予定である旨の記事が掲載され、右記事には、右のような展示の意図が正当なものであるとする安齋の談話も添えられていた。(争いがない。)

(三)  これに対し、同年三月五日、長崎市の住民の一部から、「これでは国際的に存在する「原爆投下是認論」を国内外に助長普及するおそれがあり、かつ、歴史的事実として未だ確定しておらず、歴史研究者の間にも異論の多い南京大虐殺や従軍慰安婦強制連行の問題について、一方の側の見解に従い、これを確実的史実として、しかも公費を使用して展示するのは不適切であり、見学者の客観的で正確な理解を妨げ、原爆資料館の価値を甚だしく損なう。」として、そのような展示に反対する趣旨の陳情書が長崎市に提出された。また、「加害コーナー」自体の設置計画の取りやめを要望する意見も寄せられ、平成八年二月二九日ないし三月一日ころには、自由民主党所属の長崎市議会議員一九名も、長崎市に対し、「加害コーナー」の再検討を申し入れた。(争いがない。)

(四)  同年三月二一日、長崎市は、「南京大虐殺」の写真を日本軍の「南京入城」の写真に、「パターン半島死の行進」の写真を「真珠湾攻撃」の写真に差し替える等、当初案を一部変更した展示最終案を発表した。(争いがない。)

(五)  これに対しては、「長崎の原爆資料展示を考える市民連絡協議会」等の団体が抗議を申し入れ、「原水爆禁止長崎県民会議」や「日本基督教団九州教区長崎地区」等の団体も加害行為展示の拡充を申し入れた。(争いがない。)

(六)  その後同月二七日、中国共産党の機関誌である「人民日報」が、同月二五日付で原爆資料館の展示一部変更の問題を取り上げ、「長崎市が自由民主党の圧力に屈して、日本軍国主義者の罪科を示す南京大虐殺などの資料を削除した。」として、厳しく批判していたことが判明した。なお、「人民日報」は、平成七年夏の原爆投下記念日ころにも、「広島、長崎への原爆投下は、日本の侵略行為がもたらした当然の報いであり、自業自得である。」との趣旨の見解を表明していた。また、平成八年三月二七日には、長崎華僑総会幹部が、長崎県を通じて長崎市に対し、駐長崎中国領事館の意向として、展示の変更について「不快の念」を伝えた。(争いがない。)

(七)  長崎市は、その後、原爆資料館の展示について再度方針を変更し、「南京入城」の写真を、同資料館の展示ビデオソフトに「日中戦争」(以下「本件ビデオソフト」という。)から複写した、南京大虐殺関係の写真(虐殺直前に連行された中国の人々を撮影したとされるもの、以下「本件写真」という。)と差し替えることにした。なお、本件ビデオソフト及び本件写真は丹青社が長崎市に提供したものである。(争いがない。)

(八)  また、被告は、同月二八日、第一回長崎市議会定例会の最終本会議において、被告の諮問機関として「長崎原爆資料館運営協議会」(以下「運営協議会」という。)を設置して原爆資料館の今後の展示資料等の収集や運営等について議論していきたい旨答弁し、その後「長崎原爆資料館運営協議会設置要綱」を制定した上、同年五月二〇日、二八名の委員からなる運営協議会を設置した。(乙一九、二三の3、4)

(九)  このような経緯の中、1(一)記載のとおり同年四月一日原爆資料館は開館し、本件写真は常設展示場の「日中戦争と太平洋戦争」のコーナー(C1コーナー)に展示された。(争いがない。)

6(一)  ところが、平成八年四月一七日と同月二三日の産経新聞に、本件写真は昭和五八年に上映された「東京裁判」の南京事件のくだりで挿入された「中国の怒吼」の一こまで「やらせではないか」と物議をかもした写真であり、同じ映像が昭和一九年、アメリカ合衆国においても「ザ・バトル・オブ・チャイナ」というタイトルで上映され、平成三年には我が国においても大陸書房から「日中戦争」のタイトルでビデオが発売されているとの趣旨の記事が掲載された。(甲一六、乙二〇)

(二)  このため、平成八年四月二三日には、「長崎の原爆展示をただす市民の会」と称する団体から被告に対し、右産経新聞の記事と同趣旨の理由をあげて、本件ビデオソフトの放映中止と本件写真の撤去を求める旨の申し入れがなされた。(甲一七)

また、全国から約六〇の右翼団体の約三〇〇名が、街宣車約一〇〇台で長崎市に集結し、同年四月二五日から二七日にかけて、市役所や原爆資料館付近で抗議行動を展開する騒ぎとなり、長崎県警は、約八〇〇人の警察官を動員して警戒にあたり、長崎駅前や県庁周辺の道路を終日駐停車禁止にする措置をとった。(争いがない。)

(三)  事態を憂慮した被告は、同年五月一一日、原爆資料館の展示をめぐる混乱について陳謝し、同月三一日には長崎プリンスホテルにおいて第一回の運営協議会を開催し、展示問題を検討させた。また、同年六月六日の定例長崎市議会は、本件ビデオソフト及び本件写真の展示問題で紛糾し、五時間以上にわたり会議が空転したが、結局、被告が本件ビデオソフト及び本件写真を差し替えて展示する意向を明らかにした。なお、右運営協議会の開催には四三万八〇六三円(出席謝礼金一六万六七〇〇円、会場借上料一三万〇一九二円、夕食代一四万一一七一円)の費用がかかり、長崎市がこれを負担、支出した。(第一回の運営協議会が開催された場所が長崎プリンスホテルであることは乙二三の1、同運営協議会開催のために四三万八〇六三円の費用がかかり長崎市がこれを負担、支出したことは弁論の全趣旨による。その余は争いがない。)

(四)  その後、同年六月二五日には、原爆資料館において第二回の運営協議会が開催され、長崎市は、本件ビデオソフトの放映中止と本件写真の差替えを発表した。その結果本件写真に替わって展示されることになったのは、毎日新聞社刊の「一億人の昭和史」等に掲載されている実写報道写真で、日本軍の南京入城直後に「避難民にまぎれ逃亡をくわだてた約五〜六千名の(中国軍)正規兵」と説明されているものであった。差替作業は丹青社の協力のもと長崎市の職員らによって同日中に行われ、右差替後の写真には「一九三七年一二月一六日 南京中山路」のキャプションをつけて展示された。また、これとともに、本件ビデオソフトから複写された画面が入ったビデオの放映が中止された。なお、右運営協議会の開催には一九万七七〇〇円(出席謝礼金一八万二五〇〇円、茶菓子代一万五二〇〇円)の費用がかかり、長崎市がこれを負担、支出した。(平成八年六月二五日に開催された運営協議会が第二回であること及び同運営協議会が開催された場所が原爆資料館であることは乙二四の1、本件写真の差替作業が同運営協議会開催後同日中に行われたことは証人江口、同作業が丹青社の協力のもと長崎市の職員らによって行われたこと及び同運営協議会開催のために一九万七七〇〇円がかかり長崎市がこれを負担、支出したことは弁論の全趣旨、本件ビデオソフトから複写された画面が入ったビデオの放映が中止されたことは証人江口による。その余は争いがない。)

(五)  さらに、平成八年七月一六日には、原爆資料館において第三回の運営協議会が開催され、その後、丹青社の協力のもと長崎市の職員らによってC1コーナーの一七七画面の映像(ただし、三面マルチビデオの映像については複数の画面も一つと計上。これらはいずれも丹青社が長崎市に提供したものであり、以下「本件差替画面」という。なお、これらのうち五五画面は本件ビデオソフトからの複写であり、一画面は本件写真と同一シーンのものである。)が出典の明らかなものに差し替えられた。なお、右運営協議会の開催には一八万六四〇〇円(出席謝礼金一七万四六〇〇円、茶菓子代一万一八〇〇円)の費用がかかり、長崎市がこれを負担、支出した。

(平成八年七月一六日に第三回の運営協議会が開催されたことは乙二五の1、差し替えられた映像の数が一七七であることは乙二五の4ないし6、そのうち五五画面が本件ビデオソフトからの複写であり一画面は本件写真と同一シーンのものであることは乙二五の4、5、右差替作業が丹青社の協力のもと長崎市の職員らによって行われたことは証人江口、同森、右運営協議会開催のために一八万六四〇〇円がかかり長崎市がこれを負担、支出したことは弁論の全趣旨による。その余は争いがない。)

(六)  その上で被告は、同年七月二四日、市議会の各派代表者会議において、「原爆資料館の展示資料収集に不適切があり、各関係機関、マスコミ、市民に与えた影響は大きい。」として、江口圭介助役及び田中洋一原爆被爆対策部長を厳重注意処分とするとともに、丹青社に対しては、長崎市発注の公共事業について「指名回避」とし、被告の指名権に基づき三年間程度は指名しないこととするほか、展示資料変更(新たに展示する画面の編集等)に要する全経費を同社に負担させ、文書による警告を行う等の方針を明らかにし、その後これを実施したが、現在に至るまで、別途丹青社に対し債務不履行に基づく損害賠償を求めたことはなく、加藤、安齋の両名に対し債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償を求めたこともない。(被告が丹青社に対し「指名回避」の措置をとるとした点は乙三七、長崎市が丹青社に負担させることにした展示資料変更の全経費とは新たに展示する画面の編集等に要した費用を指すことは乙四二の二及び弁論の全趣旨、被告が市議会の各派代表者会議において明らかにした各方針をその後実施したことは証人田崎、乙三九、四二の2及び弁論の全趣旨による。その余は争いがない。)

(七)  なお、この間の同年五月二八日、長崎市の平和推進室の職員二名が川崎市平和館視察の目的で同市に出張し、その旅費を長崎市が負担、支出した。

(争いがない。)

二  争点及びこれに関する当事者の主張

争点1 長崎市に対する丹青社の損害賠償責任

(原告の主張)

丹青社に係る本件契約は、原爆資料館の設立目的に合致した展示を計画・立案・実行する請負契約であるのに、同社はこれに違反して不完全な資料を提供・展示したため、長崎市は損害を被った。したがって、同社は長崎市に対し債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。

<被告の主張)

丹青社に係る本件契約上、同社が長崎市に対し提供すべき展示資料は、「基本構想及び基本計画」並びに「展示の基本的な考え方」に沿ったものでなければならず、このことはC1コーナーの資料についてもあてはまる。そのような見地から、長崎市は、C1コーナーの資料に関し、①「年表については、教科書に準拠した展示を行うべきである。」②「映像等については、年表を補完するものとして、ドキュメントフィルム等史実を伝えていると認められるもので出典等が明らかなものを使用すべきである。」と考え、丹青社に対し、映像等の出典が権威ある公共資料館や新聞社等からの入手等一般的に妥当な方法で入手した資料であることを確認しながら、展示作業にあたってきた。

この点、丹青社が長崎市に対しC1コーナーの展示用資料として提供したビデオ映像の入手先はいずれも権威のある公共資料館や新聞社等であり、一般的に妥当な入手方法といえ、また、そもそも本件写真は長崎市が行った調査の結果においても実写でないとはいえない。長崎市が原爆資料館の開館後に行った展示資料の一部の差替えは、疑義が指摘され、それに端を発して混乱が生じるなど、そのままでは同資料館の円滑な運営に支障を来すことが予測されたため、これを避けるためにC1コーナーの「映像差し替えの基本的な考え方」を新しく策定し、運営協議会に諮った上で、右規準に沿ったより信頼性のある資料に差し替えることにしたものにすぎず、丹青社の債務の履行に不完全な点があったわけではない。したがって、同社は長崎市に対し債務不履行に基づく損害賠償責任を負うものではない。

争点2 長崎市に対する加藤、安齋両名の損害賠償責任

(原告の主張)

加藤、安齋両名は、本件監修契約上、その学識・専門知識を活用し、原爆資料館の展示設計(基本設計・実施設計)全般について、誤謬や不適切な箇所をなくして展示を完全なものにすべく監修・助言をすべき義務があったのに、問題のある展示資料を漫然と看過し、あるいは独自の思想信条からあえてこれを容認したため、長崎市は損害を被った。したがって、右両名は長崎市に対し債務不履行に基づく損害賠償責任を負う。仮に長崎市と右両名の間に契約関係が存在しないとしても、右両名は長崎市に対し不法行為による損害賠償責任を負う。

(被告の主張)

本件監修契約の内容は、本件事業を「基本構想及び基本計画」に沿ったものにするため長崎市が加藤、安齋の両名に対し展示の設計及び構成について専門的見地からの指導・助言を求めるというものにすぎず、長崎市が右両名に対し原爆資料館の展示全般について誤謬や不適切な箇所をなくしてこれを完全なものにすべく監修を委託するというものではなかった。

この点、長崎市は、右両名から右合意内容に沿った指導・助言を受けており、右両名は長崎市に対し債務不履行又は不法行為による損害賠償責任を負うものではない。

争点3 長崎市が被った損害

(原告の主張)

一記載の経緯により、長崎市は、調査費用、職員の出張旅費、時間外勤務手当、市議会費用、運営協議会の開催費用、通信連絡費、マスコミ対策費用その他でかなりの経費支出を要し、また、同市は内外の信頼を大きく損ない、自然人や通常の法人であれば慰謝料請求も考えられた。これらの損害は展示資料変更に要する全経費を丹青社に負担させるだけで完全に補填されるものではない。なお、本件写真等の差替関連事務に係る時間外勤務手当や通信連絡費は、前年や前々年の同時期と対比することにより算定可能である。

(被告の主張)

長崎市は、一記載の経緯に対処するために、三回にわたり開催された運営協議会にかかった費用として合計八二万二一六三円及び本件写真等の差替関連事務に係る職員の平成八年四月ないし七月までの時間外勤務の手当として合計一六七万八三九四円(延べ六〇〇時間分)を支出したが、運営協議会は原爆資料館の運営のあり方について継続して協議する機関として設置したものであり、本件写真等疑義が指摘された展示資料の問題を検討することのみを目的として設置したわけではないし、右時間外勤務は、すべてが本件写真等の差替関連事務のためにあてられたわけではない。また、通信連絡費は、本件写真等の差替関連事務に要した部分とそれ以外の事務に要した部分を区分して算出することが困難である。その他、調査費用、市議会費用、マスコミ対策費用を支出したことはないし、一6(七)記載の出張は本件写真等の差替えの問題とは関係がない。

争点4 被告の不作為の違法性

(原告の主張)

被告は、長崎市の首長として、同市が被った損害額を算定した上、これを丹青社及び加藤、安齋の両名に対し応分して請求すべき職務上の権限及び義務があるのに、これを怠っている。これは地方自治法二四二条一項の「違法若しくは不当に……財産の管理を怠る事実」に該当し、違法である。

(被告の主張)

争う。

第三  当裁判所の判断

一  争点1について

1  まず、甲七ないし九の各1、2、乙一〇、一四及び証人伊藤、同田崎、同江口、同森、同斎藤によれば、丹青社に係る本件契約のうち、展示基本・実施設計業務委託契約は原爆資料館の施設及び展示構成等に関する基本設計図及び実施設計図等の作成を目的とするもの、展示工事請負契約は同資料館の展示工事自体(展示する模型やパネル、映像音響装置等の作成及び関連する電気・管工事等)を目的とするもの、展示工事業務委託契約は同資料館に展示する資料の収集・翻訳・版権取得及び各種原稿の作成等を目的とするものであったことが認められる。

2(一)  ところで、乙二によれば、長崎市が掲げた原爆資料館の基本構想は、原爆被爆都市である長崎市の使命として、核兵器の脅威と非人道性、戦争の悲惨さ、平和の大切さを世界に訴えるために、原爆被爆に関する資料の体系的な整備・展示・保存を図るとともに戦争の恐ろしさと原爆被爆の体験を次代を担う子供たちに語り伝え、世界恒久平和実現に努力する国際平和都市長崎のシンボル的な施設とするという基本理念のもとに、被災資料、写真、映像、音響等を使って核兵器の脅威と非人道性、戦争の悲惨さ、平和の大切さを展示する展示機能ほかの機能(学習機能、交流機能、情報提供機能、いこいの機能、収蔵機能)を持たせるというものであり、さらに、かかる構想に基づき、各機能に必要とされる施設及び設備のあり方についての基本計画(展示機能に関しては児童生徒や外国人にも十分配慮した上で、核兵器の脅威と非人道性、戦争の悲惨さを伝えるだけではなく、平和の大切さを考え、積極的に平和を求める心をはぐくむような訴え方をした展示をするものとし、①現在までに収集した原爆被災資料、写真パネル、模型に加え最新の技術を駆使した映像・音響・照明装置等を導入し、長崎に原爆が投下されるまでの経過及び原爆被爆による被害状況、今日までの核兵器開発とその脅威を中核とした展示を行う「常設展示室」、②保存資料の有効活用を図るため定期的に戦争、原爆、平和に関する企画展示を行う「企画展示室」、③最新技術を駆使した映像装置を利用して核兵器の脅威と非人道性、戦争の恐ろしさ、平和の大切さを伝える「ビデオ室」をそれぞれ設けるものとされた。)が策定されたことが認められる。

(二)  このような原爆資料館の基本構想及び基本計画に鑑みれば、同資料館に展示する資料は、できる限り真実に即したものであることが望ましく、ことに年表やその他の展示資料に添えられる説明文中の歴史的事実に関する記述は正確であることが求められ、また、歴史的事実を伝えるために展示する映像や写真は、それが創作映像等であることの表示をする場合又は一般人が見て明らかに創作映像等であると分かる場合はともかく、そうでない場合には事件の現場や人物等を現実に撮ったもの(以下「実写もの」という。)を使用することが求められる。

(三)  丹青社に係る本件契約は、いずれもかかる要求を踏まえた上で締結されたものと解され、したがって、契約上、同社が原爆資料館の展示資料として映像や写真を使用する場合には、原則として実写ものを用いるべきであったといえる(もっとも、丹青社に係る本件契約のうち展示基本・実施設計業務委託契約は、(一)において認定したとおり、原爆資料館の施設及び展示構成等に関する基本設計図及び実施設計図等の作成を目的とするものであったにすぎないから、展示資料の個別具体的な内容は同契約と直接の関係がない。また、展示工事請負契約も、その内容には(二)において認定したとおり展示する模型やパネル、映像音響装置等の作成が含まれるから、展示資料の個別具体的な内容と無関係とはいえないが、同契約は資料展示のハード面に係るものであって、展示資料の収集や各種原稿の作成は展示工事業務委託契約の内容であるところ、本件は収集・選択された資料や原稿をパネルや映像音響装置等を作成する段階で誤って表現・表示したといったことが問題になっているわけではなく、資料の収集・選択自体が問題になっているのであるから、本件において丹青社の債務不履行に基づく損害賠償責任の有無を問うべきは展示工事業務委託契約についてだけであって、展示工事請負契約についてはその対象に含まれないものと認められる。)。

(四) この点、本件ビデオソフト及び本件写真には第二の一6(一)において認定したような問題点があり、また、甲二二、二三の4ないし6、二四ないし二六によれば、本件ビデオソフトのうち本件写真の複写元となったシーンの前後には、そこに登場する日本軍人の軍服等が当時の一般のものとは異なるなど不自然な点が存することが認められるから、少なくとも本件ビデオソフトの一部は実写ものではない可能性を否定できず、本件写真及び本件差替画面のうち本件写真と同一シーンの一画面(以下、これらをまとめて「本件問題展示資料」という。)についても同様である。したがって、本件問題展示資料の提供については、丹青社に展示工事業務委託契約について債務の不履行があった可能性を否定できない。

(五) もっとも、実際の資料収集過程においては、当該映像や写真が実写ものであるか否かが判然としない場合もあり、また、乙三四の3、三五及び証人伊藤、同斎藤によれば、丹青社は博物館の展示設計等を手掛ける専門業者であるとはいえ、歴史研究機関ではなく、したがって自ら当該映像や写真が実写ものであるか否かを判断する能力に欠けるものと認められるところ、そのことは長崎市も理解した上で展示工事業務委託契約を締結したものと解される。このような事情に加え、乙二九及び証人伊藤、同森によれば、丹青社は本件問題展示資料の複写元となった本件ビデオソフトを米国国立公文書館から入手したことが認められ、同公文書館は公文書を中心として所蔵する国立の機関であり、一般に権威があり信頼できる機関であると推認されることも併せ考えると、債務の不履行について、丹青社に責に帰すべき事由があったとまでいえるかどうかは微妙である。

(六)  これに対し、本件差替画面のうち、本件写真と同一シーンである一画面以外の一七六画面については、乙二五の三3ないし6により、「より良いものにするため」「より正確なものにするため」「戦争当時敵対国において制作されたものであるため」「制作会社の性格が不明であるため」といった理由で差し替えられたものであることが認められる(乙二五の1ないし3によれば、第二回の運営協議会において、C1コーナーの映像差替えについての基本的な考え方がまとめられ、これによれば、「(1)戦争当時敵対していた国において制作された映像は、他の素材の静止画に差し替える。(2)制作会社の性格が不明な映像については、他の素材の静止画に差し替える。(3)日本国内で制作された映像、国内外のニュース映像は使用する。(4)日本国内の公共放送で放映された映像、新聞社発行の書籍に掲載され、広く社会に公表されている写真等及び新聞社所有の出典が明確な写真は、使用する。(5)右(3)、(4)の映像であっても時代背景や前後の流れ等からそぐわないものは、他の素材の静止画に差し替える。」ものとされた。)。しかしながら、丹青社が展示工事業務委託契約につき債務不履行責任を負うというためには、同社が提供・展示した資料が右の基準に照らして差し替えられるべきものにあたるというだけでは足りず、また、本件差替画面のうち右一七六画面が実写ものでないと認めるに足りる証拠はない(第二の一6(五)において認定したとおり、右一七六画面のうち五四画面は本件ビデオソフトからの複写であるが、甲一六、証人安齋及び弁論の全趣旨によれば、本件ビデオソフトもすべてが実写ものでないわけではなく、ある部分は実写ものである可能性が高いと認められるところ、右五四画面が実写ものでない部分の複写であると認めるに足りる証拠はない。)。したがって、右一七六画面の提供について、丹青社は債務不履行責任を負うものとは認められない。

二  争点2について

1  証人伊藤、同田崎、同安齋によれば、本件監修契約は、本件事業が原爆資料館の基本構想及び基本計画(右一2(一)参照)に沿ったものになるよう、長崎市が加藤、安齋の両名に対し総合的な見地からの指導・助言を求めるというものにすぎず、個々の展示資料の適否についての指導・助言は含まれていなかったとされているところ、右各証言は、原爆資料館が大規模な資料館である(第二の一1(二)参照)のに対し、加藤、安齋両名が長崎市から受けた報酬は各一七五万円にとどまっており(第二の一3(二)参照)、膨大な量になることが予想された展示資料個々の適否についての指導・助言を含む契約の対価としては些少であることから考えて、十分に信用できる。

2  したがって、本件問題展示資料が実写ものでないとしても、そのことから直ちに加藤、安齋の両名に本件監修契約の不履行があったとはいえない上、右一2(五)において認定したとおり、本件問題展示資料については丹青社がアメリカ合衆国国立公文書館等一般に権威があり相当程度信頼できる機関等からこれを入手したものであって、その入手方法は相当であったといえ、それ以上に、本件監修契約上、右両名が、丹青社による展示資料の入手方法に関し格別の指導・助言を与えるべきであったともいえない。よって、本件問題展示資料が実写ものでないとしても、右両名に本件監修契約の不履行があったとはいえず、右両名は長崎市に対し債務不履行に基づく損害賠償責任を負うものではない。

また、右両名が本件監修契約を離れた立場で長崎市に対し原爆資料館の個別の展示資料に関して指導・助言をすべきであったとは認められないから、右両名は長崎市に対し不法行為に基づく損害賠償責任も負わない。

三  争点3について

1  弁論の全趣旨によれば、長崎市が本件写真等の差替関連事務に係る職員の平成八年四月ないし七月の時間外勤務の手当として一六七万八三九四円を支出したことが認められる。もっとも、これらのうちすべてが本件写真等の差替関連事務そのもののための時間外勤務の手当であるとは認められない上、本件写真等の差替関連事務についても、本件差替画面のうち一七六画面の提供の点ではそもそも丹青社に債務不履行が認められないのであるから、この分の差替関連事務に係る時間外勤務手当の支出については、同社の債務不履行と相当因果関係がないというべきであるが、仮に本件問題展示資料の提供の点で同社に債務不履行が認められるとすれば、右支出のうち一部については同社の債務不履行と相当因果関係のある損害となることは否定できない。

2  このほか、第二の一6(三)ないし(五)において認定したとおり、長崎市は三回にわたり開催された運営協議会にかかった費用総額八二万二一六三円を負担、支出した。この点、乙二三の3によれば、運営協議会は原爆資料館の開かれた運営を図るために設置されたものであって、同資料館の運営のあり方について協議するものとされたことが認められ、また、乙二三の1ないし14、二四の1ないし7、同8の1、2、二五の1ないし8、同9の1ないし4によれば、まず、第一回の運営協議会において、(一)原爆資料館建設までの経過、(二)同資料館の展示概要、(三)歴史年表、ビデオ映像及び展示経過、(四)ビデオ映像の調査結果、(五)展示に関する陳情・要望等が報告、協議され、次に、第二回の運営協議会において、一2(六)において認定したとおり、C1コーナーの映像差替えの基本的な考え方がまとめられるとともに、本件写真及び本件ビデオソフトから複写した六画面の差替え案等が協議され、さらに第三回の運営協議会において、本件差替画面に替わる映像の試写等が行われたことが認められる。仮に本件問題展示資料の提供の点で丹青社に債務不履行が認められるとしても、このような運営協議会の開催についての費用の負担、支出が、同社の右債務不履行と相当因果関係のある損害といえるかは多分に疑問である。

3  さらに、甲二〇及び二一の各1ないし3によれば、長崎市は第二の一6(七)において認定した平和推進室の職員二名の川崎市への出張旅費等として、総額一四万二三六〇円を負担、支出したことが認められるが、かかる費用の負担、支出は、丹青社の右債務不履行と相当因果関係のある損害であるとは認められない。このほか、長崎市が本件写真等の差替えに関して、長崎市が調査費用、市議会費用、マスコミ対策費用を支出したことを認めるに足りる証拠はなく、通信連絡費はこれを支出したと認められるものの、その金額は不明である。

四  争点4について

1 仮に本件問題展示資料の提供の点で丹青社に債務不履行責任があるとした場合、長崎市は丹青社に対し、少なくとも本件写真等の差替関連事務に係る職員の平成八年四月ないし七月の時間外勤務の手当として支出した一六七万八三九四円の一部について損害賠償請求権を有していることになり、原則として、被告は、地方自治法二四〇条二項、同法施行令一七一条、一七一条の二第三号の規定に従い、丹青社に対し、督促や訴訟等による請求をすべき義務があることになる。

2 しかしながら、証人田崎、乙四二の2及び弁論の全趣旨によれば、長崎市としては、本件問題展示資料についても実写ものではないとの確証が得られなかったことが認められ、また、実際にも、仮に被告が丹青社に対し債務不履行に基づく損害賠償を求めた場合、同社において本件問題展示資料が実写ものであるか否かを徹底的に調査し、債務不履行責任の有無について争うと、これらが実写ものでないとの認定が一層困難になることも予想される。さらに、これらが実写ものでないとしても、一2(五)において認定したとおり、丹青社は本件問題展示資料の複写元となった本件ビデオソフトを、一般に権威があり信頼できる機関であるものと推認できる米国国立公文書館から入手しており、同社が債務の不履行について責に帰すべき事由があるか否かは微妙であり、同社が争った場合、同社の債務不履行責任を問えるかは必ずしも明確とはいい難い。

これらの事情を総合すると、被告が丹青社に対し債務不履行に基づく損害賠償を求めないことが地方自治法二四二条にいう「財産の管理を怠る事実」に該当するとしても、それが違法であるとまでいうことはできない。

五 まとめ

以上のとおり、丹青社に対しては仮に長崎市が債務不履行に基づく損害賠償請求権を有するとしても、被告がその行使をしないことが違法であるとはいえず、加藤、安齋の両名に対してはそもそも長崎市は損害賠償請求権を有していないから、同様にいうことができ、原告の請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官有満俊昭 裁判官西田隆裕 裁判官村瀬賢裕)

別紙契約目録 <省略>

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